綴ら折々

季節折々綴っていきます。気持ちの春夏秋冬ですってさ。

人間にはわかりあえない部分だってある

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と、気づいたのは随分前だったけど

久しぶりにそんなこと思っていた時期もあったな

と思い出した。

 

わかりあおうという部分もある。

理解できないから、わからないから、というわけではない。

もちろんいろんな人とわかりあえる部分もあって、

そうじゃない部分もあるという意味だ。

 

それを忘れていたのは

きっと物事に対して

「なんで理解してもらえないの?!」

と嘆くことがなくなったからだと思う。

 

「わかりあおう!わかりあうために話し合おう!」

と相容れない相手が行ってきたとする。

価値観というものが個々にはあるのだから、

そういう考えはあるのだ、

ということは理解できるものの

自分がそういう考えになれるかというと全く別だと思う。

 

極論を言えば

口には出したくないような卑劣なことをする奴の思考回路を

私は理解することはできない。

 

わかりあえるところ。わかりあえないところ。

わかりあえない部分があるからこそ

わかりあえる部分に感動する。

共感ってそういうものじゃないのかなあ。

 

「絶対わかりあえるって!」と言う奴は

わかりあえないという考え方を

そもそも理解しようとしろよ。

わかりあえると思うならば

まず相手の考えを理解しようとしろよ。

 

譲歩する気はなしに

自分の意見を通したいだけの人が

都合よく使うな。

「もっとわかりあおう!!」